(根っこの集い)
― 武道とは、人を育てる道である。―
技を磨き、身体を鍛え、心を律する。
礼を知り、感謝を知り、他を思いやる。
勝敗の先にある、人としての強さを学ぶ。
我々が教えるのは、ただ「空手」という技術だけではない。
強い突き、強い蹴りを身につけること。
試合に勝つこと。
優勝し、頂点を目指すこと。
それも空手を修行する者にとって、大切な挑戦である。
しかし、勝つことだけが武道の目的ではない。
勝った時に驕らず、負けた時に腐らない。
苦しい時に投げ出さず、できないことから逃げない。
昨日の自分より、今日の自分。
今日の自分より、明日の自分。
一歩でも前へ進み続ける。
才能がある者だけが強いのではない。
勝ち続ける者だけが立派なのでもない。
諦めず、逃げず、何度でも立ち上がり、継続できる者こそ強い。
だから無双塾会館では、勝敗以上に
**「挑戦すること」と「続けること」**を大切にする。
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形は理、組手は実。
形を通じて、身体の使い方と技の理を学び、
組手を通じて、その理を現実の中で生かす術を学ぶ。
無双塾会館が掲げる「実戦」とは、
単に激しく戦うことでも、相手を倒すことでもない。
学んだ技と心を、現実の中で生かすこと。
それが、我々の考える「実戦」である。
形で学んだ理を、相手の動く組手の中で生かす。
稽古で身につけた勇気を、試合という緊張の中で発揮する。
道場で学んだ礼節を、学校や職場、社会の中で実践する。
苦しい稽古で培った忍耐を、人生の困難に直面した時に生かす。
技だけが実戦なのではない。
人と向き合うこと。
困難と向き合うこと。
そして何より、己自身と向き合うこと。
人生そのものが実戦である。
どれほど素晴らしい技を知っていても、
必要な時に使えなければ意味がない。
どれほど礼儀を教わっていても、
道場の外で人を粗末に扱うのであれば意味がない。
どれほど「強さ」を語っていても、
苦しい時に逃げ、自分を律することができなければ、
それは我々の求める強さではない。
稽古で学んだものを、稽古だけで終わらせない。
理を学び、実に生かす。
それが「形は理、組手は実」であり、
無双塾会館が「実戦空手道」を掲げる理由である。
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強さの前に、根っこを育てる。
一本の大きな木も、最初から大木だったわけではない。
目には見えない土の中に根を張り、
雨の日も、風の日も、少しずつ成長を続ける。
やがて根は太くなり、
その上に幹が育ち、枝が伸び、葉が茂り、
いつの日か花を咲かせ、実を結ぶ。
人の成長も、空手も同じである。
無双塾会館が最も大切にするのは、
目に見える枝葉だけを立派にすることではない。
まず、目には見えない「根っこ」を育てることである。
礼をすること。
挨拶をすること。
人の話を聞くこと。
約束を守ること。
感謝すること。
我慢すること。
自分で考えること。
苦しくても続けること。
失敗しても、もう一度挑戦すること。
こうした一つひとつが、
人としての「根っこ」になる。
その根っこの上に、空手の技術という幹が育つ。
基本を学び、形を学び、組手を学び、
努力を重ねることで枝が伸びる。
大会での勝利。
優勝。
段位。
黒帯。
技術や実績。
それらは、努力によって育った大切な枝や葉である。
しかし、どれほど枝葉が立派でも、
根が浅ければ、大きな風が吹いた時に木は倒れる。
空手も人生も同じである。
勝っている時には見えなくても、
負けた時、苦しい時、思い通りにならない時に、
その人間がどれだけ深く根を張ってきたのかが現れる。
だから我々は、枝葉だけを見て人を育てない。
試合に勝てる子だけを評価しない。
覚えの早い者だけを評価しない。
才能のある者だけを評価しない。
昨日できなかったことに今日も挑戦した者。
負けても稽古に来た者。
叱られても逃げずに向き合った者。
仲間を思いやることができた者。
何年かかっても諦めずに続けた者。
その成長を、我々は大切にする。
勝敗や技術は枝葉。
礼、姿勢、感謝、忍耐、継続、そして考える力が根っこである。
根が深ければ、簡単には倒れない。
たとえ一度枝が折れても、
葉が落ちても、
花を咲かせられない時期があっても、
根が生きていれば、また伸びることができる。
それは空手だけではない。
学校でつまずいた時。
仕事で失敗した時。
人間関係に悩んだ時。
人生で大きな壁にぶつかった時。
空手を通じて育てた根っこが、
その人をもう一度立ち上がらせる力になる。
我々が育てたいのは、
空手が上手な人間だけではない。
どこへ行っても、どんな環境でも、しっかりと自分の根を張り、
人として真っ直ぐ立っていられる人間である。
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そして、稽古を通じて学ぶものは技だけではない。
挨拶をする。
礼を尽くす。
約束を守る。
人の話を聞く。
仲間を尊重する。
自分より弱い者に威張らない。
自分より強い者を妬まない。
間違えた時には素直に謝り、
助けてもらった時には感謝する。
道場でできないことが、社会に出て突然できるようになるわけではない。
道場は、人としての生き方を稽古する場所でもある。
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頭は低く、目は高く。
口を慎んで心広く。
孝を原点として他を益す。
強くなればなるほど謙虚であれ。
今の自分に満足せず、志は高く持て。
一度発した言葉は戻らない。
だからこそ言葉に責任を持て。
小さなことで腹を立てず、
人の違いを受け入れられる大きな心を持て。
そして、親、家族、恩師、師匠、仲間――
今日の自分をつくってくれた人への感謝を忘れてはならない。
自分が身につけた強さを、自分のためだけに使うな。
誰かを守るために。
誰かを支えるために。
困っている人に手を差し伸べるために。
自分が受けた恩を、次の誰かへ返すために。
強さとは、人を傷つける力ではない。
自分を律し、人を守り、人を思いやれる力である。
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黒帯を締めることがゴールではない。
大会で優勝することがゴールでもない。
段位や肩書が、その人間の価値を決めるわけでもない。
空手で培った礼節、忍耐、勇気、感謝、思いやりを、
道場の外でどう生かすことができるか。
家庭で。
学校で。
職場で。
社会で。
そして、人生の困難に直面した時に。
「空手をやっていたからこそ、立派な人間になれた。」
いつの日か、そう胸を張って言える人間になってほしい。
子どもたちには、勝つ喜びだけではなく、挑戦する勇気を。
若者には、自分の可能性を信じ、困難に立ち向かう強さを。
大人には、いくつになっても学び続ける謙虚さを。
年齢も、経験も、才能も関係ない。
今日より明日、少しでも成長する。
その積み重ねが、やがて人を変え、人生を変える。
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勝敗は二の次。
しかし、挑戦には本気であれ。
勝って学び、負けて学び、
苦しさから学び、仲間から学び、
生涯をかけて己を磨き続ける。
我々が目指すのは、単に「強い空手家」を育てることではない。
強く、優しく、礼を知り、
自分に厳しく、人には温かく、
周囲から信頼され、
誰かのために力を使える人間を育てること。
空手を学び、空手に学ぶ。
技を磨き、人を磨く。
己を鍛え、他を益す。
形で理を学び、
組手で実を学び、
そして人生の中で、そのすべてを実践する。
技だけではなく、心も実戦へ。
道場だけではなく、社会へ。
深く根を張り、太い幹を育て、
枝を伸ばし、葉を茂らせ、
いつの日か、その強さを誰かのために実らせる。
空手を通じて、
人として歩むべき「道」を伝える。
それが、武道。
それが、実戦。
それが、無双塾会館。
押忍。